旧社会党ナンバー2 久保亘氏の動向ノート 元秘書がつぶさに記録「墓まで持って行く」 細川連立政権発足、村山首相就任…90年代政局の舞台裏記す・・・ノートの詳細は「お墓まで持って行く」と言いつつ、研究などで協力を求められれば一部は口答で応じている😓

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旧社会党ナンバー2 久保亘氏の動向ノート 元秘書がつぶさに記録「墓まで持って行く」 細川連立政権発足、村山首相就任…90年代政局の舞台裏記す・・・ノートの詳細は「お墓まで持って行く」と言いつつ、研究などで協力を求められれば一部は口答で応じている😓

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南日本新聞・11月5日17:30配信【旧社会党ナンバー2 久保亘氏の動向ノート 元秘書がつぶさに記録「墓まで持って行く」 細川連立政権発足、村山首相就任…90年代政局の舞台裏記す】

旧社会党書記長や副総理兼大蔵大臣を歴任した元参院議員久保亘氏=旧鹿児島県姶良町出身=の動向などを記した「久保ノート」を当時の秘書が所持している。今年は久保氏死去から20年、非自民7党1会派による細川連立政権発足から30年。政局が激変した1990年代、その渦中にいた久保氏の動きや言葉をつづったノートは複雑な政策決定過程を知る手がかりとなる。

2003年に74歳で亡くなるまで23年間秘書を務め、現在は野間健氏(衆院鹿児島3区)の国会事務所に勤める久本芳孝さん(65)=鹿児島市出身=が、久保氏から「日程整理のため記録を残すように」と指示を受けて書きとめた。

ノートはA4判10冊。党副委員長に就いた1990年4月に始まる。93年8月の細川連立政権発足、村山富市党委員長を首相とする94年6月の自社さ連立政権誕生、その後の橋本政権で96年1月に副総理兼蔵相として入閣し退任する同11月まで、約6年7カ月に及ぶ各党幹部や省庁との電話、面会の日時、交渉や議論の一部が記されている。

自社さ政権発足時、自民党国対委員長を務めていたのが元衆院議員小里貞利氏=旧霧島町出身。組閣直前の慌ただしいやり取りが分かり、小里氏も鹿児島弁で語り合ったことを著書で振り返っている。保岡興治氏、井上吉夫氏、徳田虎雄氏といった県選出国会議員との面会記録も多く残る。

ノートの詳細は「お墓まで持って行く」と明かさない久本さんだが、研究などで協力を求められれば一部は口答で応じている。

連立政権や旧社会党の変遷を調べている元党職員の浜谷惇さん(83)=神奈川県=はその一人。書籍執筆や記録をまとめる際、たびたび久本さんと連絡を取り、情報の確認を依頼している。特に自社さ政権で首相になった村山氏や周辺の動向を明らかにする上で「時系列を正確に確認できる貴重な記録」と話す。整理した資料の一部は今夏、国立国会図書館に収められた。

浜谷さんは久保氏を「日本政治を一歩でも進めようと連立政権で実務調整に心血を注いだ名ナンバー2」と評価する。久本さんは政権交代可能な二大政党制を目指した当時を思い浮かべ、「自民1強の国会をどう見ているのだろう」と語った。

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現在は立憲民主党の衆院議員、野間健氏の国会事務所に勤める久本芳孝さんが、久保氏から「日程整理のため記録を残すように」と指示を受けて書きとめた「久保ノート」の存在を明らかにしたんだとさ。

ちなみに・・・・・ノートの詳細は「お墓まで持って行く」と明かさないとのことだが、一方では研究などで協力を求められれば一部は口答で応じているとのこと。

「お墓まで持って行く」

「しかし、研究などで協力を求められれば一部は口答で応じている」

まぁ〜何てのかなぁ〜

微妙に意味不明な話ですよね😓

結局のところ、「久保ノート」を持っているその方は現在は立憲民主党の野間健氏の国会事務所に勤めているってことですね。

旧社会党系からの〜立憲民主党系で仕事してますよ〜!というパターン。

ある意味、そのまんまの方向性で今もお仕事頑張っているということですかね😅

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